田岡さんってどんな人?経歴を徹底調査!
田岡さんってどんな人?経歴を徹底調査!
皆さんご存知、田岡さんは新宮市の市長を2期8年勤められています。
今年(2017年)の10月に任期満了による市長選挙にも、出馬表明されていますね。
田岡さんをあまりご存じではないという方も、知ってるよ!という方も、田岡さんの経歴を見ることで何か発見があるかもしれません。
ぜひ以下のプロフィールをご覧になって下さい。
田岡さんを紹介!
今回は、田岡さんの講演会が出しているチラシを参照し、調べたものを掲載します。
(このチラシは後援会が発行したものを、私がスキャンしました)
とても柔和な表情ですね☺
以下が書き起こしたものです(わたくし枝豆が和暦に慣れていないので、西暦に直しています)。
学歴
1979年3月 新宮高等学校卒業
1985年3月 大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業経歴
1985年4月~ カメラのタオカ
1987年6月~ 毎日放送局 新宮駐在員
1999年5月~ (2年間)三輪崎小学校 育友会長
2001年1月~ (1年間)社団法人新宮青年会議所 理事長
2003年5月~ (5年間)紅葉中学校 育友会長
2009年10月~ (1期目)新宮市長
2013年10月~ (2期目)新宮市長
2014年4月~ (2年間)和歌山県市長会 会長
では、一つ一つ見ていきましょう!
和歌山県立高等学校
田岡さんの出身高校は和歌山県立新宮高等学校です。
新宮の方は皆さんご存知でしょうから、説明は割愛させていただきます。
田岡さんは三輪崎のご自宅から、毎日新宮高校まで通われていたのでしょうね。
私立大阪芸術大学
大阪芸術大学はおととし(2015年)で創立70周年を迎えた私立の芸術大学です。
田岡さんが卒業されたとき(1985年)には、ちょうど40周年でした。
大阪芸大は、大学としての経歴がちょっと面白いです。
まず、大阪芸大は「平野英学塾」として始まっています。最初から芸大ではなかったのですね。
そこから何度か再編成があり、現在の大阪芸大になりました。関西の私立美大としては、京都精華大学と並ぶ大学として知られています(諸説ありますが)。
現在はコースもかなり多く、在学生も多いですね。
所在地
場所は、大阪府の中でも奈良県に近い南河内郡の河南町という場所にあります。
大阪の中心部からは最寄り駅の貴志駅まで電車でおよそ1時間かかります。
…え? 私、正確な場所は知らなかったので、結構驚きました。大阪の中でも結構田舎にあるのですね。
遊びに行くのだったら、難波や阿倍野のほうが断然に近い、そんな場所ですね。
当時の入試方法は?
当時の入試方法はなんだったんだろう…というややゲスイことを調べてみました。
驚きの事実が判明しました。笑
下記の引用は、大阪芸大の出身である庵野秀明さんのサイトからです。庵野さんの経歴の一部を引用させていただきました。
庵野さんは言わずと知れた「新世紀エヴァンゲリオン」の監督ですね。
「とにかく大学に行ってくれ」という両親や進学率を下げたくない高校の要望により、ようやく受験の準備、重い腰を上げる。無作為に取り寄せた資料の中に学科試験無し実技のみという、私立大阪芸術大学を発見。更に、映像計画学科(当時)の試験内容が絵コンテということを知るに至リ、安心してなおも遊び続ける。
「学科試験無し実技のみという、私立大阪芸術大学を発見。更に、映像計画学科(当時)の試験内容が絵コンテということを知るに至リ、安心してなおも遊び続ける」
おお^^;庵野さん、ロックだわ。
庵野さんは1960年生まれ、田岡さんは1961年生まれです。
そして、庵野さんが大学に入学されたのが1980年、田岡さんがおそらく*11979年前後です。
もちろんお二方の学科は映像計画学科(当時)、写真学科と異なりますが、この書き方では大阪芸大の当時の入試方法全般が実技試験のみだったようですね。
うーん、これはびっくり。実技だけで入れたということは、田岡さんは当時から相当カメラの技量を持っていらっしゃったのでしょうか。
カメラのタオカ
大阪芸術大学を卒業された後、田岡さんはご実家の株式会社 カメラのタオカに入社しています。
カメラのタオカは、写真撮影、写真の現像、写真修復、フォトアルバム作成など、写真や映像に関わることを手広くやっておられます。
サイトでは、「熊野地方撮影スポット」を紹介されているなど、とても地域密着型の会社だなと好印象を受けました。
毎日放送 新宮駐在員
毎日放送は、新宮に中継所を置いています。そこの駐在員として田岡さんは勤められたようですね。
三輪崎小学校 育友会長
紅葉中学校 育友会長
三輪崎小学校と紅葉中学校では、育友会=PTAという位置づけです。
田岡さんはPTAの会長を務めておられました。
お子さんの進学とともに、小学校の会長から中学校の会長もされたようですね。
これは、なかなかできるものではないですね。PTAの会長は仕事も多いですし、他の役員の方との調整も大変です。
責任感のある方でないと、務まらないでしょう。
社団法人新宮青年会議所
青年会議所はご存知でしょうか。
「JC」のほうが、聞き覚えがあるのではないかと思います。
どのような理念のもと作られた組織なのか、見てみましょう。
1949年、「明るく豊かな社会」の実現を理想とし、次代のリーダーとなる責任感をもって、 お互いに切磋琢磨しようという情熱をもった青年有志による東京青年商工会議所(商工会議所法制定にともない青年会議所と改名)設立から、日本の青年会議所(JC)運動は始まりました。共に向上し合って、社会に貢献しようという理念は瞬く間に全国に拡がり、各地に次々と青年会議所が誕生。1951年には全国的運営の総合調整機関として日本青年会議所(日本JC)が設けられました。
新宮の青年会議所も、その流れを汲んでいます。
そして、田岡さんは理事長を1年勤められました。
新宮市長
そして、いよいよ田岡さんは2009年(一期目)に新宮市長に就任されました。
私が驚いたのが、議員や市職員を全くされずに市長になったことです。
この事例は全国でも多いとは言えません。
もちろん、県・市の議員や市職員を経なくても市長になったことがある人はいます。
しかし、県や市の議員、職員を経験し、行政にかかわることを学んだ上で市長になる人が圧倒的に多いです。
また、日本の従来の選挙では、「3バン」がなければ勝てない、と言われてきました。これは、「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」のことです。
- 地盤=選挙区内における後援会などの支持組織
- 看板=知名度
- 鞄=選挙資金
(これは私の個人的な意見ですが、小中学校とPTAの会長をされ、青年会議所の理事長や会社の代表をされたことで、顔が広いからこそ市長になれたのだ、と思ってしまいます^^;)
議員の仕事と一般の仕事はやはり違う部分が大きいです。いくら一般で経験を積んでいても、いきなり市長をすることは当時の田岡さんにとってかなりチャレンジ精神に富んだことだったのではないかと思います。
しかし、今はもう8年も市長を務められてますから、不慣れなことはないでしょう。
和歌山県市長会
和歌山県市長会ってなんだろう?と思って、色々調べてみたのですが、まずホームページが存在しないようでした。
文字通りの組織なら、和歌山県の市長が集まってそれぞれの市同士の調整や連絡を取る会なのでしょうね。
これに対して、和歌山県町村会はしっかりホームページが存在しました。こちらは、
和歌山県内の町と村で構成されています。
終わりに
どうでしたでしょうか。
田岡さんの意外な経歴や一面を知ることができたでしょうか。
これが今回の市長選挙に興味をもつきっかけになって下されば、こんなにうれしいことはありません。
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おまけ
田岡さんのこれまでの市長選における新聞記事やデータなどは、こちらの団体さんが調べておられるようです。
ぜひ参考になさってください。
以上、枝豆でした!またね
*1:田岡さんの大学卒業年のみしか資料に明記されていなかったため